Saturday, June 12, 2010

「パパ」との思い出



「パパ」との思い出
グレッグ・ハリソン


春という季節は常に変化を伴うが、私のこの春はとりわけ目まぐるしかった。
五月初め、父がこの世を去った。自宅で安らかに眠りについた父は、カズオやエイジからは「パパ」と呼ばれていた。最愛の父を失い悲しむ私に、多くの友人が暖かい言葉で慰めてくれたが、中でも一番心に残ったのが、「お父さんとの楽しかった思い出すべてをどうか大切に。。。」というものだった。
一方、子供の家では、この春園庭が大きく様変わりした。皆さん新しくなった櫓の下のマットや、外観全体を気に入っているようで、私も同感である。ただ、保護者の多くが砂場がなくなってしまったことを残念に思っていることも確かだ。私も子供の家父兄として通ってきた六年間を振り返ると、恐らく他のどんな遊具よりも、土を掘って遊べる砂場が大好きだったように思う。
土の重要性を過小評価してはならない。土で遊ぶこと、つまり、遊びに決まり事がなく、土の中に手を突っ込んで何かを形作ったり、水を加えたり、トンネルを作ったり、泥団子を作ったりという砂場での遊びは、全ての学びの原点である。繰り返して言うが、砂場での遊びは全ての教育の原点だと私は信じている。子供たちが砂場で遊ぶことによって作り上げた世界の数々は、言葉を学んだり、友達との遊び方を学んだり、お話を作ったりするのに最適なのだ。こういった世界は、どんな本よりも価値や意味があるし、子供たちの人生に後々まで大きな影響を与える。子供たちと砂遊びの関係を超えるのは、母親と赤ん坊の身体的な結びつき以外にはないのではないだろうか。何と言っても砂遊びは、我々と母なる大地とを結びつける絆なのだから。
子供たちが砂遊びに熱中するのは、ほとんど本能的でさえある。私も子供時代はそうだった。私の父も砂場で遊ぶことを喜んで見てくれたし、そういった父の方針に感謝している。音楽と科学を愛した父は地に足の着いた、謙虚な人だった。幼い頃は、兄弟と一緒に何時間も砂遊びをして過ごした。想像の中で様々な場所へ旅をし、登場人物や状況を設定した。トンネルを作ったり、火山を作ったり、他にも今となっては記憶のどこかに埋もれてしまっている色々なものを造った。成長するにつれ、砂遊びはガーデニングへと進化していった。我が家にはかなり大きな庭があり、たくさんの果物や野菜を育てた。たくさんの楽しい思い出もそこで生まれた。ガーデニングを通して、我が家と土との関係は深まり、土への愛情も育っていった。季節の移り変わりをみんなで楽しんだ。土の手入れをすることは、我が家では自然な事となり、ミミズを見つけては喜んだ。土の感触や、色、においに安堵した。種を植え、水をやり、土から生命の吹き出る喜びを知った。最後には食べ物となって、私たちに栄養を与えてくれた。父はいつも側にいて、土に関する全てを教えてくれた。そして、同時に命についても教えてくれたのである。
そして今、父からの教えに想いを馳せると、またもや土、生き物、生命のサイクルへと引き込まれていく。そして、今一度、土に癒しを見い出している自分がいる。


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